今、女性天皇論の是非が熱いらしい

参考:kikulog
さしあたり歴史的な観点に立った場合、次のことが言えると思います。

  • 万世一系男系天皇の系譜は、為政者の都合によって作られたものである。
  • 万世一系論は、北朝の系譜のみを認めるという立場ならば、作られた系譜の中でのみ正統性を主張できる。
  • 男系天皇の系譜もまた、作られた系譜の中でのみ正統性を主張できる。
  • 事実を反映していないにせよ、天皇の系譜を信用するかどうかは個人の主観にかかっている。

以上のことを前提に考えると、要するに価値観の問題です。女性天皇に反対する人は明治以降の伝統を重視する価値観の持ち主であって、そのこと自体にとやかく言う権利は誰にもありません。逆に、天皇が男性になろうが女性になろうが、そして男系天皇の系譜が壊れようが、伝統的価値観を重視しないきたろーのような人にとってはどうでもいいことです。
むしろきたろーは次のようなことに関心があります。男系の系譜になぜそれほどの価値があるのか? 長い歴史を持つ云々はさっきも言ったとおり歴史的に作られたフィクションなので置いといて、ここでは価値観自体を問題にしたい。
家の系譜を保守するということは、まずは系譜を継ぐものに特段の地位(家長)を与えるということなので、家族制度の中で身分的差別が発生します。もちろん前近代的な身分秩序、ないしは形のない「家」というものに個人が縛られるということも意味します。家長もそれ以外も同じことです。さらに男系を保守することには、男女差別というファクターが加わります。いわば男系系譜を重視する価値観は、三重の抑圧を肯定する価値観だといえます。
このような見解がフェミニズムの言うところの家父長制批判であって、自由民主主義を思想的前提にして国際的な地位を獲得してきたはずの日本では、特に議論の対象にするまでもなく自明のことでした。
ではなぜ今の日本でこのような議論が起こっているのか。フェミニズムが衰退したからでは(たぶん)なく、ポストモダンと「失われた十年」の洗礼を受けた反動的思想傾向によって、自由民主主義の価値観そのものが疑われた結果だと思います。
それにしても近代的な価値観から「自由」になった結果、「権威」や保守主義の中に取り込まれるというのは皮肉です。