「沖縄集団自決」新証言について

こういうニュースが産経のサイトで取り上げられた。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/16661/

第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。
照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。
同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。
照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。
照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。

これは重要な証言だ。新自由主義の保守知識人が軍の命令の存在を否定する文章をたくさん書いていたことは知っているが、当事者の言葉となると重みが違う。当然、歴史家も何らかのリアクションをしなければならない。さらなる調査が必要だろう。
ただ、この証言によって、特にネットの中で大江健三郎を、「捏造作家」だの「ノーベル賞を返上せよ」だのと非難する人が多いのには辟易する。大江氏は公式の文書に基づいて『沖縄ノート』に軍命令とそれを下した軍人の存在を記したのであって、大江氏自身が史料を捏造したのではない。公式のものとされている史料が虚偽のものだったなど、どうして当時の大江氏に分かるだろうか? その史料に基づいて「軍命令」の存在を明記した歴史教科書にも同様に、「捏造」などというレッテルを貼られる筋合いはない。ただ、「史料が虚偽のものであったことを知らず、赤松大尉の名誉を傷つけてしまったことに深く謝意を表します」といった形で故人と遺族に対する名誉回復を図り、そのうえで本の記述を訂正する必要はあるのではないか。
さて、以上の証言から、「軍命令がなかったのならば、なぜ島民たちは集団自決をしたのか?」という疑問が当然生じる。新自由主義系のブロガーや知識人たちはスルーしがちになるだろうが、照屋氏はこのような証言もしている。

−−ではなぜ集団自決をしたのか
「民間人から召集して作った防衛隊の隊員には手榴(しゅりゅう)弾が渡されており、隊員が家族のところに逃げ、そこで爆発させた。隊長が(自決用の手榴弾を住民に)渡したというのもうそ。座間味島で先に集団自決があったが、それを聞いた島民は混乱していた。沖縄には、一門で同じ墓に入ろう、どうせ死ぬのなら、家族みんなで死のうという考えがあった。さらに、軍国主義のうちてしやまん、1人殺して死のう、という雰囲気があるなか、隣の島で住民全員が自決したといううわさが流れ、どうしようかというとき、自決しようという声が上がり、みんなが自決していった」

つまりは当時の軍国主義教育が生み出した悲劇だったわけだ。「うちてしやまん、1人殺して死のう」という考え方を人々に刷り込ませ、誰が命令したわけでもないのに300人以上の普通の人々を自発的に集団自殺に追い込んだ、戦前教育こそ忌むべき対象であるはずだ。
また、死と隣り合わせにあり、このままではみんな死んでしまうから、いっそみんなで死のうという集団心理も働いたようだ。これはまさに戦争自体がもたらした悲劇である。軍命令云々以上に、戦争の恐ろしさ、平和の尊さを伝える話ではないか。大東亜戦争は正義の戦争だったとか、日本軍は何も悪いことはしていないとか、戦争は主権国家がもつ当然の権利だなどといって平和主義を糾弾する人々に、「これでも昭和の戦争は肯定できるのか?」と問いたい。まあこのあたりは感情的になってしまいますが。
そんなことを徒然思いました。