ミステリを読むということ

米澤穂信クドリャフカの順番―「十文字」事件』を買ってすぐに読んでいます。
というか、今読み終わりました。凄く面白かったです。作品の出来としてはこれまでの米澤作品の中では最高ではないでしょうか。
とりあえず詳しい感想は明日あたりに「きたろーの本格ミステリ雑感」に載せるとして、作品の出来とは関係なくミステリ読みとして非常に残念だったことを記しておきたいと思います。
以下の文章にはネタバレが含まれます。『クドリャフカの順番』を読了された方のみクリックしてください。
クドリャフカの順番』のミステリとしてのひとつの軸はミッシング・リンクにあります。このミッシング・リンクを解き明かしたとき、犯人の正体と犯人の目的が、視界が開けるように一気に解明されるというのが、この種のミステリの醍醐味です。
しかし、初版本における誤植(米澤さんのHP「汎夢殿」参照)はこの醍醐味を味わう上ではまったく致命的なのです。解決編を読みながら、きたろーは「ああ、残念だ。このミスさえなければ、俺はこの本をもっともっと楽しめて、もっともっと絶賛することをためらわなかったのに」と微妙な印象を持たなければなりませんでした。
安眠練炭さん(id:trivial)は、謎の提示が遅すぎるために、本書が「ミステリとして読んだ場合」評価がやや低くなると指摘しています。私的には謎の提示の遅さについては、この本のミステリ的魅力を損なうものではまったくないと確信していますが(本書のミステリにおける魅力については後ほど感想で書きます)、きたろーが本書をミステリとして読む上で評価を下げる要因になったのは、作品の価値とは関係のない「校正のミス」なのです。米澤穂信のファンとして、本書を心の底から楽しむことが出来なかったのは、返す返すも残念でなりません。ミステリ読みの悲しい性です(たぶん)。
しかし幸い(?)初版部数は少なそう(失礼!福岡ではほとんど見かけなかったもので・・・)なので、遠からず市場に出るであろう第二版では修正され、本書のミステリとしての真価が十分に読者に伝わることでしょう。
繰り返しますが、『クドリャフカの順番』はミステリとしても物語としても優れた作品だと思います。しかしミステリとして読むのであれば、第二版を待って購読することを個人的にお薦めします。