米澤穂信『ボトルネック』

ボトルネック
ボトルネック

高校1年生のぼく――嵯峨野リョウは、ようやく気持ちの整理がついて、2年前に恋人の諏訪ノゾミが転落死した東尋坊の崖上に来た。ぼくの家族はバラバラだ。父と母はそれぞれ恋人を作って家庭内では対立している。家族に絶望していた兄は、今日死んだという。ぼくは恋人の死を弔う時間もそこそこに、金沢市内に戻って兄の葬儀を手伝わなければならない。そのとき、強い眩暈に襲われて、崖下に転落した――。気がつくと、金沢市内のベンチで横になっていた。家に帰ると、見知らぬ女性が我が物顔で生活していた。ここは、流産したはずの姉が出生して、ぼくが生まれなかった世界。見知らぬ「姉」――嵯峨野サキは、好奇心むき出しで2つの世界の違いを聞いてくる・・・。

これを読んで、『完全自殺マニュアル』を思い出しました。小説としてこのような効果を出す作品は始めて読みましたが、キツイですね。
バトルロワイアル』の時のような論争が起こるかもしれません。そんな性質の作品。
バトルロワイアル』は倫理的な問いかけもあるし、完全フィクションのエンターテインメントですが、『ボトルネック』はフィクションにもかかわらず現実の個人の思想に直接影響を与えそうで、問題は根本的なものになると思います。
ボトルネック」という考え方は、受け取りようによっては、悪質な俗流社会ダーヴィニズムにつながりかねない危険性を持ってます。
問題作ですが、私は嫌いです。
>感想ページへ
・・・読み直してみて、ちょっと感情的になりすぎたと反省して一部削除。米澤氏の次回作には期待してます。