安眠練炭氏の『ボトルネック』拙感想に対する感想に対する反応

なんだか訳の分からないタイトルになってしまった。まあ過不足ないのでこれでいいでしょう。
さて、安眠練炭さん(id:trivial)が私の『ボトルネック』の感想に批判を加えてくださった。かなりきついことも書かれているので、一応反応しておかないと寝覚めが悪い。
安眠練炭さん(以下練炭さん)の拙感想批判は全く妥当なものだと判断します。なるほど、その通りだと思いました。
作品の内容とそのテーマがどのような危険性を持とうとも、著者の人格を否定するのは決定的な誤りです。昨今の自殺ブームなどがオーバーラップして、読後に頭に血が上ったまま感想を書き上げたために、あのような文章になりました。読了直後の素直な感想とはいえ、乱暴な論調であったと反省します。感想文は但し書きの上、一部削除・改変します。
しかし、作品が持つ力と、それだけに著者の意図を離れてこの作品が一部の読者にとって危険な効果を及ぼすのではないかという恐れ、そしてこの本の「ボトルネック」という概念が持つ恐ろしい意味について意見を変えるつもりはありません。もちろん、作品に対して好意的な評価をするつもりもありません。
一方で、練炭さんは気になることを付け加えました。

最後に――これは主要な論点ではないが――ひとつ言っておきたいことがある。
「小説世界の中では、リョウが現実であり、サキは理想だ。そして物語の結論は、理想は現実に勝てない、である。それ以外には読み取れない」
こんな貧困な読みしかできずに『ボトルネック』を非難するとは、なんと「想像する」力の乏しいことだろう!
2006-11-17 - 一本足の蛸

私の読み方に読み取り不足があること、そしてこの部分は感情に任せて著者を非難している部分なので相当に乱暴な議論になっていることは重々承知ですが、どのあたりが「貧困」なのか気になりますので、自分なりに想像の翼を広げてみたいと思います。
(以下、ネタバレを含むため、「続きを読む」で)
今手元に本がないので、記憶違いがあったらすいません。
考えてみた末の私の『ボトルネック』理解はこうです。
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崖の上に立ったリョウは、自分を取り巻く不幸な現実の重荷に耐えかねて、それらの不幸はなぜ起こったのか、ということを「想像」する。彼は自分が納得できる不幸の理由を求めたのだ。ここから、白昼夢のような仮想現実の世界が物語られる。
この別次元の世界は現実世界の住人であるリョウの頭の中で作られたものなので、そこに登場する、仮想世界での自分の写し身である「姉」のサキは、「現実の世界でああしていれば、もっと自分の世界はよくなっていたかもしれない」という願望が投影された存在である。すなわち、リョウが想像する理想の自分だ。理想であるからこそ、リョウの願望が投影された英雄的行動によって不幸を打破することができ、少なくともサキの周辺においては不幸は払拭されている。
そして鏡像であるがゆえに、サキのプラスの行いは「現実」のリョウのマイナスの行いを徹底して責める。いわば、自分の「想像」によって自分の存在価値を失わせるという「自分殺し」を、リョウは行ったのだ。これによって自らを納得させたリョウは、「ツユ」(自分の鏡像ではない「姉」)の説得にもかかわらず、死を選ぶしかない。「ツユ」の言葉が最後の理想世界からのメッセージだとしたら、母親からのメールはいわば現実世界からのメッセージだ。想像された世界の中ですでに自殺的論理を組み立てたリョウにとって、「ツユ」の言葉は空疎に響き、母親のメールは現実感を持って受け止められたのではないだろうか。メールを見た後のリョウの笑いは、その表れだ。
ボトルネック』では、現実に絶望するために想像された世界の物語ゆえに、理想は現実に絶対に勝てないように作られているように、私には思える。言い換えれば、サキという「理想」は、「現実」であるリョウの鏡像であるがゆえに、リョウ自身にマイナスの形で跳ね返る形でしか影響を与えない。物語の構造の全てが、「理想」は「現実」に勝てない、ということを指し示しているように感じられる。それ以外には読み取れない。
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私はこのように解釈します。反論があれば、よろしくお願いします。