安眠練炭氏の「きたろー氏の(中略)に対する反応」に対する再反応

私は昨日、安眠練炭id:trivial)さんの最初の批判における「貧困」という根拠がよくわからない、自分はこういった意味で「そうとしか読み取れない」と書いたわけだが、という反応をしたところ、練炭さんは批判の根拠について詳細に書いてくださった
というか、すでに練炭さんは『ボトルネック』の感想を何回か書いているのですね。これを読んでいなかったのが私のミスなわけですが、わざわざ私の反応に対する反応として書き直してくれたことには恐縮します。
練炭さんの根本的な批判は私の『ボトルネック』感想は一面的である、ということなわけですが、そのことは練炭さんの最初の批判を読んで痛感し、恥ずかしくなったのでこっそり感想内の表現を変えたりしました。「これはあくまでも自分の印象に過ぎない」というニュアンスをにじませるように表現を改めていることは、練炭さんも注で指摘するところのものです。改めて言い直しても、とても恥ずかしいですね。
さて、『ボトルネック』でリョウが迷い込んだ平行世界は、彼の脳内で想像された「仮想世界」である、と解釈するといろいろと説明不可能なことがある、という練炭さんの指摘について。
第一の指摘については、「想像力豊かな人間が想像した『想像力の欠如』」の結果、「自らを追い詰めれば追い詰めるほど、自らを救済する道を拓く」ことになるというのは、よく分かりません。彼の想像した世界では全てのことが彼を絶望させる理由を提供していることになるわけですが、ここで言う「自らを救済する道」が絶望から逃れるための「自殺」を指すのであれば、私の解釈とは矛盾しないのですが*1。何しろリョウは自分が死ぬ「理由」を見つけて、安心して死ねるわけですから。終章のタイトル「昏い光」の「光」を「救済」だと捉えるなら、「死に至る救済」=「昏い光」ということになるのではないかと思います。
第二に、川守という少年の存在ですが、仮想世界の中では、「ボトルネック」という言葉を教えた新聞コラムとともに、リョウに絶望の理由を与えるメッセンジャーとしての機能を与えられている、と解釈します。「グリーンアイドモンスター」=「ねたみのかいぶつ」はこの場合、第4章でリョウがサキを「羨ましい」と考えたときに、死に至る「どく」をリョウにふりかけました。「心のどくを消すほうほうはない」ということから、リョウが自殺以外に道を持たないことの伏線にもなっていると思います。
第三に、「ツユ」の電話ですが、これはもう電話は実際にはかかっておらず、彼の脳内でのやり取りだと、こう言うしかない。「しかし電話は、もとからそんな通話はなかったのだというように、不意に沈黙した」と書いてあることから、無理矢理そんな風にも解釈できます。しかし無理矢理にもほどがあります。
第四に、「失望の人生を自殺によって終わらせる」か「絶望のまま生き続けるか」という二者択一にリョウが迫られるという場面ですが、「絶望はこれまでの彼の人生の惰性を断ち切る刃だろう」という練炭さんの指摘については、まず、「惰性を断ち切る刃」は彼を生きることへと導くものだろうか、むしろ彼を死へと誘う意識ではないか、と素朴に思ってしまいます。仮に生きたとしても、「自分の存在に絶望しながら生きる」という拷問である以上、常に死という解放への欲望を付きまとわせる選択となるのではないでしょうか。次に、そのような絶望に向かう道よりもあの場面で死を選ぶ欲求のほうが、リョウの中で大きくなっていることは、第4章末から終章にかけて自然に読み取れることではないかと思います。さらに、死という解放への欲求が強くなっていた段階で、「自分では決められなかった。誰かに決めてほしかった」とリョウが思ったそのタイミングで入った母親からのメールが、彼にどのような決断をさせるのか、やはり私には自明のように思われました。
ここまでが、練炭さんの「反応」に対する反応です。
以下は自分を納得させるための文章です。
この文章を書くために『ボトルネック』を(時間がないのであくまで軽く)読み返してみました。倫理的価値規範に照らして危険な内容を持っている、という印象は変わりませんが、最初に読んだときには気がつかなかった(普通は気がつくであろう)部分が多く、自分の解釈を修正しなければならないと思います。
決定的なのは、崖の上で気がついたとき、確かに2晩が経過しているという事実です。私はこの点を読み逃していて、白昼夢的な数時間の経過なのだろう、ぐらいにしか思っていなかったのですが、そうではなく、平行世界での時間と同じ時間が経過しているわけですから、リョウは本当に崖から落ちる途中で平行世界に飛ばされ、そこで3日間を実際に過ごしたということになります。そうでなければ、普通は飢えと凍えで衰弱します。このようなスーパーナチュラルな理解は避けたかったのですが、書いてあるのだから仕方がありません。
それでは誰がリョウを平行世界へと飛ばしたのか。リョウがそう思ったように、それはノゾミで、ノゾミこそがリョウに死に至る毒を振りかけた「グリーンアイドモンスター」であり、リョウがなおも生きているという「ねたみ」ゆえに、彼を絶望させるために構築された並行世界へと飛ばしたのだ、という風に普通は解釈できます。ただ一方で、実際に平行して存在している現実世界であれば、あのように都合の良い世界はありえないわけで*2、やはり誰かによって「想像」された世界であると解釈するのが自然なのではないかと思います。では誰が作り出した世界なのか。
平行世界は、リョウ自身の願望が投影された「希望の街」である。しかしこの世界での体験を通じてリョウに絶望を植えつける「グリーンアイドモンスター」はノゾミだと解釈するのが自然。であれば、この平行世界は、リョウに絶望を植えつけるためにノゾミが彼の願望を投影させて作り上げたものである、と解釈できるのではないでしょうか。リョウの願望が投影されている以上、リョウにとってサキは「理想」であることは変わりません。これで何とか納得したいと思います。ただしツユの電話は依然として謎ですが。
結局、「物語は、リョウが死を選ぶように構築されている」という私の結論は変わらないのですが、昨日の説明はちょっと単純すぎたようです。もちろん上に示した解釈が最も妥当だとも言えません。話はシンプルですが読み甲斐のある作品だと思います。

*1:しかし練炭氏はリョウは自殺しないだろう、という解釈をしているので、「救済」とは生に至る道を指すのだろう。

*2:現実との相違点が全てリョウの代わりにサキが存在していたことによって説明されるところや、リョウを絶望に誘う装置、例えば「ボトルネック」記事や川守少年など、それから、犯人とされる少女のあからさまに怪しい行動と性格など。