盗作騒ぎ

飛鳥部勝則『誰のための綾織』のいくつかの描写が、三原順はみだしっ子」連作を盗用していたものだったことが判明し、原書房は陳謝の上、『誰のための綾織』を出庫停止としたらしい。(id:trivialさんの記事で知りました)
原書房サイトhttp://www.harashobo.co.jp/tokusetsu/ayaori.htm
この本の盗作騒ぎについては、某掲示板などで知っていたのですが、そしてそれを知ったときにはもう読んでいて感想も書いていたんですが、まあたいしたことはないだろうと思っていました。ミステリにおいて盗作が問題とされるのは、あくまでもトリックやプロットなどのミステリ的要素に限られると思っていたからです。
しかし今回の措置は、盗用問題としては甘い処分とはいえ、一応その問題性を重視したものになっています。飛鳥部勝則はどのような問題を起こしたのか?
きたろーは「はみだしっ子」シリーズを読んでいませんが、三原順ファンによって作成された検証サイトがあるのでそこを読んでみました。
http://www.geocities.jp/flutter_of_earthbound_bird/
どうやら、『誰のための綾織』の作中作における登場人物の性格付けを行う際に、かなりの部分を「はみだしっ子」における比喩表現をそのまま借用したようです。ミステリの根幹部分には何の関係もないのですが、余人には真似できない表現をまるで自らのオリジナルな着想のように用いられる*1と、三原順ファンは黙ってはおれないでしょう。
要するに最大の問題点は、飛鳥部氏が巻末などで参考文献として「はみだしっ子」を挙げ、謝意を表さなかったところにあるわけです。
きたろーは一応西洋史研究者のはしくれですが、われわれが論文を書く際には必ず刊行・未刊行の文書資料を用います。その際、一つ一つの引用や参考箇所に注を入れて、その見解がどのような先行研究や資料によって裏付けられているのか正確に説明しなければなりません。そうしなければその論文は資料に裏付けられない妄想であったり、場合によっては資料捏造と思われるからです。注がない入門書でも、ちゃんとした研究者が書いたものであれば、必ず巻末に参考文献一覧があり、引用した資料は逐一説明されていると思います。つまり、結論やプロットや視角がオリジナルであれば、注や参考文献で断った上、他の著作でも素材として用いてよいのです。
飛鳥部氏の下のような謝罪文はこうした資料学的な知見に基づいたものであるといえます。

膨大な素材カードの一部に問題の表現と思しき文章が紛れ混乱を招いたこと並びに参考文献一覧表の欠落を自省し各位に陳謝致します。
飛鳥部勝則

資料学的には飛鳥部氏のコメントには問題はありません。確かにそのとおりだったのでしょう。しかしここにはなお大きな問題があります。飛鳥部氏の断りなしの盗用によって心を痛めた三原ファンや、いくつかの切れの良い表現を飛鳥部氏のオリジナルだと思って読んで感心したミステリファンに対する誠意の問題です。言うまでもなく、「はみだしっ子」は漫画史に残る文芸作品であり、多くの読者を魅了してやまない名作とのことです。飛鳥部氏にとっては単なる創作上の素材かもしれませんが、三原作品のファンにとってはそうではないのです。飛鳥部氏は、ファンの心も考えず、「素材カード」と「参考文献一覧表の欠落」だけに問題を矮小化したともいえるわけです。
文章によって読者の心をつかまなければならない作家であればなおさら、読者の心情を第一に考えなければならないのに、飛鳥部氏は謝罪文でもそれを怠ったのは非常にまずい。飛鳥部氏の作家としての今後が心配です。

*1:飛鳥部勝則に好意的に解釈すれば、これは作中作なのだから、①この作中作を書いた女子高生が三原順のファンだった ②瞳やモネやおっさんが皆三原順のファンだったので、思わずこういう表現を知ったかぶった、というメタな解釈も可能である。しかし後述する参照ルールの問題から、これも作者の言い訳にはならない。