北方謙三『水滸伝』第5巻&全巻読了報告

水滸伝 5 玄武の章 (集英社文庫 き 3-48)

水滸伝 5 玄武の章 (集英社文庫 き 3-48)

 この巻は熱い。江州で青蓮寺に追い詰められた宋江一行を救うために、蜂起した李俊と穆弘、そして梁山泊の同志が官軍と対峙する。囚われた魯智深を救うために、訒飛は単身遼の地に乗り込み、死域を超える。そして李富に篭絡され刺客となった馬桂は、幸福な生活を送る楊志一家に接近する・・・。
 これまでにないテンションで物語が動いていくわけだが、特に衝撃的なのは楊志の死である。罠にはめられた楊志は、息子楊令を守るために先祖伝来の吹毛剣を抜き、一人青蓮寺の精鋭部隊に立ち向かう。楊志は最後まで楊令を守り抜き、そして勝利して死ぬ。読者の記憶に残る、そして北方水滸伝のスタイルを確立させる劇的な場面だ。
 これまでも北方謙三は大胆に原典の構造を解体し、『水滸伝』を脱構築してきたわけだが、最大の「ルール破り」は水滸伝の好漢108人が勢ぞろいする前に、好漢たちが死んでいくというところだろう。本巻での楊志の死はその最初のものだ。原典では、宋江を頭領とする108人は天命によって定められた存在で、全員が揃ったところで108人分の天罡星と地煞星のリストがずらりと列挙される。ただ列挙されるだけなのにやたらと迫力があり、ストーリーもろくに覚えていない私でも印象に残っているくらいだ。こういう見せ場があるから、それまでどんなに強大な敵が立ちふさがろうと、梁山泊の好漢はひとりも死んではならない。
 しかし北方はあっさりとそのルールを破り、108人の一人であろうとも死ぬべき時が来たら死ぬのだということを、楊志という重要な主要キャラクターを殺すことで読者に見せ付ける。北方水滸伝における楊志の役割は幾つかあると思うが、楊令という次世代の主人公を登場させるための装置としての役割もさることながら、「北方水滸伝のキャラクターは死ぬ」というスタイルを確立するために供物になったのだ、という気がする。こうした重要な役割を演じられるのは楊志林冲魯智深くらいのものだろう。北方は自らの水滸伝のスタイルを確立するために、あえて楊志を最初の死者に選んだのである。

 ところで、先日遂に第19巻を読み終え、北方水滸伝の読了してしまいました。感想はこの通り追いついていないので、一応全巻読んだという報告をして、あとは思いついたときに特定の巻に拠らない北方水滸伝の感想を書いていきたいと思います。
水滸伝 6 風塵の章 (集英社文庫 き 3-49)水滸伝 7 烈火の章 (集英社文庫 き 3-50)水滸伝 8 青龍の章 (集英社文庫 き 3-51)水滸伝 9 嵐翠の章 (集英社文庫 き- 3-52)水滸伝 10 濁流の章 (集英社文庫 き 3-53)水滸伝 11 天地の章 (集英社文庫 き 3-54)水滸伝 12 炳乎の章 (集英社文庫 き 3-55)水滸伝 13 白虎の章  (集英社文庫 き 3-56)水滸伝 14 爪牙の章  (集英社文庫 き 3-57)水滸伝 15 折戟の章(集英社文庫 き 3-58)水滸伝 16 馳驟の章 (集英社文庫 き 3-59)水滸伝 17 朱雀の章 (集英社文庫 き 3-60)水滸伝 18 乾坤の章 (集英社文庫)水滸伝 19 旌旗の章 (集英社文庫)
 全体の感想としては、とても面白かったのですが、前半に比べると後半はエンターテインメントとしては面白さが半減したかなと。思うに、官軍をあまりにも強くしすぎたし、また梁山泊がある一定程度からはほとんど強くならなくしたために、戦っても戦っても報われない、そんな描写が何巻も続いたためではないかと思います。おそらくそれは、北方謙三の革命観であって、どんなに現政権に非があろうとも国家というのは強大であり、少数者の革命家集団はあくまで少数者であるがゆえに、権力によっていともたやすく踏み潰されてしまうという現実を無視することはできなかったのでしょう。北方流の革命の美学、滅びの美学は堪能しました。『楊令伝』は文庫化してから読もうと思います。