北方謙三『三国志』2〜5巻
第2巻と3巻は呂布の話がメイン。ハードボイルド作家としての北方謙三の筆が生き生きと踊っており、読むほうもグイグイ引き込まれます。『三国志』の武将の中でも人間離れした剛勇を誇る呂布を、北方はただまっすぐな武人として描き、天下を論じる曹操や劉備のあり方と対比させます。そんな呂布だからこそ、陳宮との組み合わせが絶妙なものとして浮かび上がります。呂布に比べれば陳宮はいかにも小物ですが、小物だからこそ呂布と組み合わさることによって雄飛し、また武人である自分に活躍の場所を与えてくれる陳宮は、呂布にとってもなくてはならない存在となったのでしょう。
第4巻と第5巻は袁紹がメイン。呂布のエピソードと比べると、袁紹にはそれほどの魅力はないかなあ。圧倒的な兵力差を曹操はいかにして乗り越えたのか、という戦術レベルの描写がうまくいっていない印象。関羽千里行のエピソードなどいかにも芝居じみた劇的なエピソードはばっさりカットし、北方三国志のストイックな感じが続いてちょっと中だるみ。
北方謙三『三国志』第1巻
- 作者: 北方謙三
- 出版社/メーカー: 角川春樹事務所
- 発売日: 2001/06/01
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思えば、少年の頃吉川英治の『三国志』を読みふけったのが、本格的な読書の原点だったような気がします。やっぱり面白いなあ。これだけ完成度の高い作品になると、北方謙三といえどもそれほどラディカルなアレンジは出来ないだろうと予想。
第1巻は劉備・関羽・張飛が義兄弟の契りを交わすところから、董卓が洛陽を焼き払い、荊州で孫堅が死ぬところまで。相変わらず訥々とした語りの北方節なので、あまり曹操や呂布の凄さが伝わりにくいのは残念だが(何しろ『蒼天航路』の呂布が凄まじかったですから)、呂布の境遇にオリジナリティを加えることによって、より人間くさい新しい呂布像が描かれているのが面白かったです。
貂蝉が登場しないなど、『演義』よりも正史に拠って書いているのかもしれないですね。
北方謙三『水滸伝』第5巻&全巻読了報告
- 作者: 北方謙三
- 出版社/メーカー: 集英社
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これまでにないテンションで物語が動いていくわけだが、特に衝撃的なのは楊志の死である。罠にはめられた楊志は、息子楊令を守るために先祖伝来の吹毛剣を抜き、一人青蓮寺の精鋭部隊に立ち向かう。楊志は最後まで楊令を守り抜き、そして勝利して死ぬ。読者の記憶に残る、そして北方水滸伝のスタイルを確立させる劇的な場面だ。
これまでも北方謙三は大胆に原典の構造を解体し、『水滸伝』を脱構築してきたわけだが、最大の「ルール破り」は水滸伝の好漢108人が勢ぞろいする前に、好漢たちが死んでいくというところだろう。本巻での楊志の死はその最初のものだ。原典では、宋江を頭領とする108人は天命によって定められた存在で、全員が揃ったところで108人分の天罡星と地煞星のリストがずらりと列挙される。ただ列挙されるだけなのにやたらと迫力があり、ストーリーもろくに覚えていない私でも印象に残っているくらいだ。こういう見せ場があるから、それまでどんなに強大な敵が立ちふさがろうと、梁山泊の好漢はひとりも死んではならない。
しかし北方はあっさりとそのルールを破り、108人の一人であろうとも死ぬべき時が来たら死ぬのだということを、楊志という重要な主要キャラクターを殺すことで読者に見せ付ける。北方水滸伝における楊志の役割は幾つかあると思うが、楊令という次世代の主人公を登場させるための装置としての役割もさることながら、「北方水滸伝のキャラクターは死ぬ」というスタイルを確立するために供物になったのだ、という気がする。こうした重要な役割を演じられるのは楊志か林冲か魯智深くらいのものだろう。北方は自らの水滸伝のスタイルを確立するために、あえて楊志を最初の死者に選んだのである。
ところで、先日遂に第19巻を読み終え、北方水滸伝の読了してしまいました。感想はこの通り追いついていないので、一応全巻読んだという報告をして、あとは思いついたときに特定の巻に拠らない北方水滸伝の感想を書いていきたいと思います。
全体の感想としては、とても面白かったのですが、前半に比べると後半はエンターテインメントとしては面白さが半減したかなと。思うに、官軍をあまりにも強くしすぎたし、また梁山泊がある一定程度からはほとんど強くならなくしたために、戦っても戦っても報われない、そんな描写が何巻も続いたためではないかと思います。おそらくそれは、北方謙三の革命観であって、どんなに現政権に非があろうとも国家というのは強大であり、少数者の革命家集団はあくまで少数者であるがゆえに、権力によっていともたやすく踏み潰されてしまうという現実を無視することはできなかったのでしょう。北方流の革命の美学、滅びの美学は堪能しました。『楊令伝』は文庫化してから読もうと思います。
2008インターネットで選ぶ本格ミステリ
2008-05-14
政宗九さんのところの毎年恒例企画の結果が出ていました。不肖きたろーも投票しましたが、『首無の如き祟るもの』が大差で第1位という結果にいたくご満悦でありますよ。といっても『女王国の城』でも『密室キングダム』でもご満悦だったでしょうが。昨年はそれぐらい、良作がてんこ盛りだったということです。
オフィシャルの本格ミステリ大賞は『女王国の城』ということで、これまた納得の結果。業界鉄板ガチガチの印象も免れまいなどと、ひねた見方も可能でありますが。しかし例えば『乱鴉の島』レベルだったら大賞なんて納得のいかないところなんですが、『女王国の城』レベルなら全然OKだと、みんな思っているんじゃないかと思います。
オフィシャルとアンオフィシャルの結果がほぼ毎年違うというのは、作家クラブレベルのミステリの楽しみどころと、一般読者のそれとが乖離しているんじゃないかと、いつも思います。一昨年だったら、仮に『厭魅の如き憑くもの』が候補作に入っていたら、ネット投票はそちらに流れたんじゃないかと密かに確信しているんですが。この乖離にどんな意味があるのかは、全然考えていないのでとりあえずこれにて。
北方謙三『水滸伝』第4巻
- 作者: 北方謙三
- 出版社/メーカー: 集英社
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最初は武松一人を供につれての二人旅でしたが、暴れん坊の李逵が加わり、李俊と穆弘とその一味などなどを味方にして、何千という敵に囲まれても見事に撃退します。梁山泊の仲間たちも気が気ではないと思うのですが、大物の宋江は飄々として旅を続けるという、何という天然キャラ。水滸伝ファンの間ではよく言われる、宋江の魅力が分からんという感覚を、北方謙三はこのたびで集中的に宋江を描くことによって解決しようとしているのですが、あまりにも天然過ぎてやっぱりよく分からん。
宋江に比べると、李逵の魅力はストレートに読者に伝わってきます。北方謙三も、多分李逵は一番書きやすいお気に入りキャラクターなのではないでしょうか。黒旋風李逵といえば李鉄牛の名前でも知られ(北方水滸伝ではその呼び方はされてませんが)、鉄牛といえばそう、OVA「ジャイアント・ロボ」にも出演。直情的で乱暴ものだけど、大きな存在感がある魅力的なキャラクターとして描かれています。李逵のイメージだけは、どんな作品でも共通しているような気がします。
さて、宋江が鄆城を出るきっかけになったのが、愛人の閻婆惜殺害事件。元はといえば宋江が悪いような気もするのですが、青蓮寺は宋江を犯人に仕立て上げて、婆惜の母親の馬桂を復讐者に仕立て上げます。ここからの人間関係の展開が凄い。馬桂を操るために、青蓮寺の李富は肉体関係を持つのですが、完全に彼女にほれ込んでしまいます。これまで梁山泊の側に人間描写は集中していたのですが、ここで李富という青蓮寺側の人物が、実に人間らしいキャラクターとして描かれるのです。後に登場する聞煥章や史文恭なども、巻が進むに従って人物像が明確になるし、こうして敵側の魅力を引き立たせるのも北方水滸伝の魅力ですね。
北方謙三『水滸伝』第3巻
- 作者: 北方謙三
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そして印象的なエピソードとして、盗賊に両親を目の前で殺された幼子を楊志が我が子として育てる決意をするところがあります。幼子は「楊令」と名づけられ、実の親を亡くしたトラウマから言葉を失った状態から、楊志夫婦の限りない愛情に包まれて、次第に心を開き、強く育ってゆく・・・。人間味溢れる楊志のキャラクターを存分に読者に伝えることに成功しています。しかし嗚呼、あんなことになろうとは・・・というのはもう少し先の話。
北方水滸伝で画期的なのは、強大な敵の設定です。宋の内部に「青蓮寺」なる組織が存在し、梁山泊最大の敵として立ちふさがることになります。この青蓮寺は宋王朝のいわば裏の中枢として暗躍しており、表の宋王朝が腐敗と堕落に満ちているとすれば、裏の青蓮寺はその腐りきった宋を立て直そうとして有能な人物を結集させた組織となっています。青蓮寺のトップである袁明は、神宗皇帝時代の「王安石の改革」における新法党に属し、旧法党が支配する徽宗皇帝時代には裏に回らざるを得なかった不遇の人物。彼は王安石の理想そのままに、宋王朝という器はそのままに、内部を抜本的に改革することによって宋王朝を生まれ変わらせることを自らの使命としています。
つまり、青蓮寺は国の現状を何とかしなければならないと考えている点では梁山泊と一緒ですが、青蓮寺は「改革」によって宋を生まれ変わらせること、梁山泊は「革命」によって宋そのものを転覆させることを目的としているのです。強い志を持った組織同士がぶつかり合うという設定が素晴らしい。強敵同士がぶつかり合うのでなければ、物語は盛り上がりませんよね。その点、原典では優秀な指揮官なしには官軍は紙くず同然に梁山泊にあしらわれてしまい、しかもその将軍たちはたいてい梁山泊にシンパシーを感じて梁山泊側についてしまうのですから、緊張感がありません。しかし北方水滸伝では、例え秦明や朱仝や呼延灼や関勝といった官軍の優秀な将軍が梁山泊に走ろうが、敵である宋王朝は厳然と強大な敵としてその輝きを失わないのです。
北方謙三『水滸伝』第2巻
- 作者: 北方謙三
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この巻では遂に梁山泊を晁蓋が乗っ取り、「水滸伝」の骨格が整い始めます。宰相蔡京への賄賂を強奪し、それを手土産に梁山泊に入って乗っ取るという骨格は原典と変わらないものの、最初から天然の要害梁山泊を叛乱の根拠地と狙い定め、賄賂強奪から入塞までの(それどころかそれ以前の林冲・安道全の入塞からの)計略を、事前に綿密に計画していたというところが特徴的。梁山泊の好漢たちが革命の志を胸に皆同志として結びついているという設定なので、自然とこうなったのでしょう。全てが、計算され理知的に結びついているという印象。
宋江と晁蓋の叛乱を支える経済基盤「闇塩の道」という設定も然り。こんな設定はもちろん原典にはなく、現代経済学に基づく歴史考証があって初めて思いつくものだといえます。北方水滸伝は、ある意味荒唐無稽な原典を、現代人が読んでも納得がいくような歴史群像劇に仕立て上げているのです。また、この「闇塩の道」を支えているのが柴進と盧俊義で、原典ではこの2人がいったいなぜ梁山泊のなかで首領に次ぐ位置にいるのか謎でしたが、梁山泊の経済基盤を彼らが作り、決死で守っていたという設定によって、彼らなくして梁山泊はありえないのだということで非常に納得がいきます。